大人の秘密基地!

見た目はJK?中東情勢から自民党の裏側、幾何公差マニアな機械設計、空冷ビートルの泥沼メンテまで、世の中の「裏側と本質」を鋭く紐解くおまかせ雑記ブログです

『鏡ノ家』


第一章 午前二時十三分

その家には、鏡がなかった。

正確に言えば――

鏡を置いてはいけない家だった。

築四十七年。

山梨県の山間部にある、古い一軒家だった。

不動産会社の資料には、

「閑静な住宅街」
「日当たり良好」
「リフォーム済み」

と書かれていた。

ただし、最後の欄だけは妙に簡素だった。

告知事項あり。

それだけだった。

「事故物件ってこと?」

車を運転していた姉の美穂が言った。

助手席の弟、直人はスマートフォンから顔を上げた。

「事故物件っていうより、前の住人が出ていったってだけじゃない?」

「じゃあ、なんで告知事項ありなの?」

「知らないよ」

美穂は笑った。

「まあ、安いからいいじゃん」

二人は、この家を相続した。

正確には、祖母が亡くなったことで、祖母の家を処分することになったのだ。

しかし売却前に一度、家の中を整理しなければならない。

そのため、二人は東京から車を飛ばしてきた。

時計を見る。

午後六時四十七分。

山の向こうに夕日が沈みかけていた。

古い家だった。

庭には雑草。

雨戸はところどころ錆びている。

玄関脇には、黒ずんだ表札が残っていた。

そこには、

「水原」

とだけ書かれている。

「……おばあちゃん、この家に住んでたんだよね?」

直人が聞いた。

「うん」

「俺、全然覚えてない」

「小さい頃に一回だけ来たことあるよ」

「そうだっけ?」

「覚えてないなら、覚えてないほうがいいかもね」

美穂が何気なく言った。

その瞬間だった。

家の中から、

コン……

と音がした。

二人とも動きを止めた。

「……今の何?」

直人が言う。

「知らない」

「誰かいる?」

「いるわけないでしょ」

美穂は鍵を取り出した。

玄関を開ける。

ギィィィ……

湿った空気が流れてきた。

古い木材。

畳。

埃。

そして――

妙な匂い。

何かが腐ったような匂いではない。

もっと乾いた、

古い線香のような匂い。

美穂は電気をつけた。

パッ。

廊下の照明が点灯する。

何もない。

「ほら」

「……うん」

二人は靴を脱いだ。

そのとき。

直人がふと壁を見た。

「姉ちゃん」

「何?」

「ここ」

壁紙の一部だけが、新しかった。

長方形。

縦一メートルほど。

横六十センチほど。

まるで――

そこに大きな鏡が掛かっていたような跡。

「昔、鏡があったんじゃない?」

「そうかもね」

美穂は気にしなかった。

二人は荷物を運び込んだ。

夕食を済ませた頃には、午後十時を回っていた。

疲れていた。

「今日はもう寝よう」

「俺、二階ね」

「勝手にすれば」

二階には二部屋あった。

直人は右側。

美穂は左側。

午後十一時半。

家は完全な静寂に包まれた。

――そして。

午前二時十三分。

直人は目を覚ました。

理由は分からない。

ただ、

誰かに見られている。

そう感じた。

布団の中で目を開ける。

暗い。

カーテンの隙間から月明かりが入っている。

部屋には何もない。

「……」

直人はスマートフォンを手に取った。

午前二時十三分。

電池残量、38%。

そのとき。

廊下から音がした。

――コツ。

――コツ。

――コツ。

誰かが歩いている。

直人は息を止めた。

「姉ちゃん……?」

返事はない。

足音が近づいてくる。

――コツ。

――コツ。

――コツ。

そして。

直人の部屋の前で止まった。

沈黙。

直人は布団の中で固まっていた。

ドアを見る。

開かない。

しかし、

ドアの向こうに、

誰かが立っている。

そう確信した。

「……姉ちゃん?」

もう一度呼ぶ。

返事はない。

やがて、

ドアノブが動いた。

カチャ。

直人の心臓が跳ねた。

カチャ。

カチャ。

しかし、鍵は掛かっている。

「……誰?」

返事はない。

そして――

ドアの向こうから、

女の声がした。

「直人……」

直人は凍りついた。

その声は、

母親の声だった。

だが、母親は三年前に死んでいる。

「……」

「直人」

今度は、はっきり聞こえた。

「開けて」

直人は布団を頭までかぶった。

聞いてはいけない。

返事をしてはいけない。

なぜか、そう思った。

しかし声は続いた。

「直人」

「お願い」

「お母さんだよ」

直人は震えていた。

そのとき――

隣の部屋から、

美穂の声がした。

「直人!」

直人は飛び起きた。

「姉ちゃん!」

ドアを開ける。

廊下には美穂が立っていた。

顔が真っ青だった。

「今……」

「聞いた?」

「うん」

「お母さんの声……」

「違う」

美穂が首を振る。

「私が聞いたのは……」

彼女は震えながら、

廊下の奥を指差した。

おばあちゃんの声。

二人は同時に振り返った。

廊下の突き当たり。

そこには、

古い木製の扉があった。

直人は眉をひそめた。

「……あんな扉あった?」

「知らない」

「昨日、家の中見たとき……」

「なかった」

二人はゆっくり近づいた。

扉には札が貼られていた。

黄ばんだ紙。

墨で、

こう書かれていた。

「鏡を戻すな」

直人が呟いた。

「……鏡?」

その瞬間。

扉の向こうから、

コン。

と音がした。

二人は動けなかった。

コン。

もう一度。

そして三回目。

コン。

まるで、

誰かが内側から、

扉を叩いている。

美穂が後ずさった。

「開けちゃ駄目」

「分かってる」

「絶対に」

「分かってるって」

しかし――

そのとき。

扉の向こうから、

二人の母親の声がした。

「美穂……」

二人は顔を見合わせた。

「直人……」

今度は、

二人の名前を同時に呼んだ。

そして、

声が笑った。

「久しぶり」

――カチャ。

扉の鍵が、

内側から外れた。


第二章 鏡を置いてはいけない

翌朝。

扉は開かなかった。

正確には、

扉そのものが存在しなかった。

壁だった。

ただの壁。

「……」

美穂は何も言わなかった。

直人は何度も壁を触った。

「昨日、確かにここに扉があった」

「うん」

「夢じゃないよな?」

「私も見た」

二人は祖母の家を出ることにした。

しかし、玄関へ向かう途中。

美穂が突然立ち止まった。

「……ねえ」

「何?」

「これ」

玄関横の棚。

そこに、

一枚の写真が置いてあった。

古い家族写真。

祖母。

母。

幼い美穂。

そして――

見知らぬ女。

「誰?」

直人が聞く。

美穂は首を振った。

「分からない」

写真の裏には、

日付が書いてあった。

1979年8月17日

その下に、

祖母の字で一行。

「四人目を見つけた」

二人は意味が分からなかった。

しかし。

写真をよく見ると、

妙なことに気づいた。

四人のうち、

祖母と母と幼い美穂は、

カメラを見ている。

だが、

もう一人の女だけは――

写真の外側を見ていた。

まるで、

カメラマンの後ろにいる誰かを、

じっと見つめているように。

直人は写真を裏返した。

その瞬間だった。

背後から、

声がした。

「それ、返して」

二人は振り返った。

誰もいない。

「……今、聞いた?」

「聞いた」

「女の声?」

「うん」

美穂が写真を握りしめる。

すると、

写真の中の女が、

少しだけ笑った。


第三章 もう一つの家

その日の午後。

二人は祖母の知人だったという老人、

黒田源蔵を訪ねた。

黒田は家の話を聞くと、

しばらく黙っていた。

そして言った。

「……とうとう戻ってきたか」

「何がです?」

「鏡だ」

美穂は眉をひそめた。

「鏡?」

黒田は古い茶をすすった。

「お前さんたちの婆さんは、あの家から鏡を外した」

「いつ?」

「四十年以上前だ」

「なぜ?」

老人は答えなかった。

代わりに、

古い新聞記事を取り出した。

そこには、

小さな記事が載っていた。

『一家三人、原因不明の失踪』

住所は――

祖母の家だった。

「この家では昔、何人も消えてる」

黒田が言った。

「でもな」

彼は新聞を指で叩いた。

「消えた人間は、家の中から消えたんじゃない」

「じゃあ?」

黒田は二人を見た。

鏡の中から消えたんだ。

美穂は笑おうとした。

しかし笑えなかった。

「そんな……」

「鏡は捨てられた」

黒田は続けた。

「山の中に埋めた」

「だったら問題ないじゃないですか」

直人が言った。

老人は首を横に振った。

「違う」

「何が?」

「鏡は一枚じゃなかった」

沈黙。

「……どういうこと?」

黒田は低い声で言った。

「鏡を見た人間は、鏡の中にもう一つの家を見る」

「もう一つの家?」

「そこには、自分と同じ人間がいる」

「……」

「ただし」

老人は二人を見つめた。

「そいつは、こちら側の自分を待っている」

美穂の顔から血の気が引いた。

「何のために?」

黒田は答えた。

入れ替わるためだ。


第四章 もう一人の美穂

その夜。

美穂はホテルに泊まることを主張した。

直人も賛成した。

二人は家を離れた。

ところが。

午前二時十三分。

ホテルの部屋のテレビが勝手についた。

砂嵐。

ザーッ……

直人はベッドから起き上がった。

「テレビ……?」

画面には、

あの家が映っていた。

しかし映像がおかしい。

現在の家ではない。

古い家。

四十年前の家。

玄関に、

祖母が立っている。

その隣に、

母がいる。

そして――

もう一人。

写真に写っていた女。

女はゆっくり、

カメラのほうを見る。

そして口を動かした。

音声はない。

しかし直人には分かった。

女は、

こう言っている。

「まだ一人足りない」

直後。

画面が真っ黒になった。

そして――

テレビの中から、

コン。

と音がした。

直人は息を呑んだ。

コン。

コン。

コン。

その瞬間、

ホテルの鏡に、

自分ではない男が映っていた。

直人は振り返った。

誰もいない。

もう一度鏡を見る。

そこには自分がいる。

だが、

鏡の中の自分だけが、

笑っていた。

直人は後ずさった。

鏡の中の自分は、

ゆっくり口を開いた。

「お前は……」

声が聞こえた。

「こっちに来る?」


第五章 地下室

翌朝。

二人は再び家へ戻った。

逃げることができない。

そう悟ったからだ。

家の中を調べていると、

床下収納の奥から、

古い地下室を発見した。

階段を降りる。

カビ臭い空気。

壁には無数の傷。

そして中央に、

大きな布が掛けられていた。

美穂が布をめくった。

そこには――

巨大な鏡があった。

だが、

鏡面は黒かった。

何も映さない。

「これ……」

直人が近づく。

すると、

黒い鏡の表面に、

白い文字が浮かび上がった。

「二つの家を合わせるな」

直人が読む。

その瞬間。

鏡の中に、

何かが映った。

美穂だった。

しかし、

こちら側の美穂は隣にいる。

鏡の中の美穂は、

一人だった。

そして、

泣いていた。

「……助けて」

鏡の中の美穂が言った。

「私を出して」

現実の美穂が叫ぶ。

「違う!」

鏡の中の女が笑う。

「あなたが偽物」

直人が凍りつく。

「……何?」

鏡の中の美穂は、

ゆっくり首を傾けた。

「本物は私」

そして――

背後から、

別の女が現れた。

写真に写っていた女だった。

その女は、

鏡の中の美穂の肩に手を置いた。

「やっと見つけた」

その瞬間。

地下室の照明が消えた。

完全な闇。

そして暗闇の中で、

何十人もの声が響いた。

「一人」

「二人」

「三人」

「四人」

「五人……」

人数を数えている。

直人は美穂の手を掴んだ。

「逃げるぞ!」

二人は階段を駆け上がった。

しかし、

階段の上に、

もう一人の美穂が立っていた。

「お兄ちゃん」

笑っている。

「こっちだよ」

直人は手を握っている美穂を見た。

そして前を見る。

二人の美穂。

どちらが本物なのか。

分からなかった。


第六章 鏡の女

「直人」

右側の美穂が言った。

「私だよ」

左側の美穂も言った。

「違う。私がお姉ちゃん」

二人とも、

同じ顔。

同じ声。

同じ記憶を語る。

幼い頃の思い出。

母親の口癖。

祖母の家。

すべて一致していた。

しかし、

直人は一つだけ違いを見つけた。

二人の足元。

片方には、

影がある。

もう片方には、

影がない。

「……お前」

影のない美穂が笑った。

「気づいた?」

直人は後ずさった。

「あなた……誰?」

女は首を傾げた。

「あなたの姉」

「違う」

「じゃあ、何?」

女の顔が、

ゆっくり崩れていく。

皮膚が黒く変色する。

目が、

真っ黒になる。

口が、

異常なほど横に裂ける。

鏡の中にいる人間。

その瞬間、

本物の美穂が叫んだ。

「走って!」

二人は玄関へ走った。

しかし玄関の外には、

家があった。

庭ではない。

道路でもない。

同じ家の玄関が、もう一つ存在していた。

そしてその向こうにも、

また同じ家。

さらにその向こうにも。

無限に続いている。

家。

家。

家。

鏡の中の家。

「……何だよ、これ」

直人が呟く。

美穂が泣きながら言った。

「私たち……」

「うん」

「もう、元の世界に戻れないの?」

そのとき。

背後から、

黒田老人の声がした。

「戻れる」

二人は振り返った。

老人が立っている。

「ただし、一人だけだ」


第七章 もう一つの怪異

黒田は言った。

この家に棲むものは、

一体ではない。

「鏡の女は、人間を鏡の世界へ連れていく」

「じゃあ、もう一つは?」

直人が聞く。

黒田は答えた。

「家そのものだ」

家が、

人間を食う。

鏡の女は人間を入れ替える。

家は人間を消す。

本来、

二つの怪異は別々だった。

しかし四十年前。

祖母が鏡を家の地下室へ運び込んだことで、

二つが繋がってしまった。

「だったら……」

美穂が言った。

「二つを戦わせれば?」

黒田は笑った。

「それができるなら、とっくにやってる」

「じゃあどうするの?」

「二つを同じ場所に集める」

「……」

「そして、鏡を割る」

その瞬間。

家全体が、

大きく揺れた。

ドンッ!

天井から埃が落ちる。

壁が軋む。

そして、

二階から、

子供の笑い声が聞こえた。

「来たぞ」

黒田が呟く。

廊下の奥。

そこに、

黒い影が立っていた。

人の形をしている。

しかし、

顔がない。

影はゆっくり歩いてくる。

一歩。

また一歩。

そして、

鏡の女が現れた。

二つの怪異が、

初めて向かい合った。

家の中の空気が、

完全に止まった。

鏡の女が、

笑った。

影の怪異が、

首を傾けた。

次の瞬間。

――家中の鏡が、

一斉に割れた。


最終章 鏡の向こう

叫び声。

泣き声。

笑い声。

無数の声が、

家の中から噴き出した。

壁が裂ける。

床が歪む。

天井から無数の手が伸びてくる。

鏡の女と影の怪異が、

互いに襲いかかった。

その瞬間、

直人は理解した。

これは戦いではない。

奪い合いだ。

二つの怪異は、

人間を奪い合っている。

どちらが勝っても、

人間は消える。

「姉ちゃん!」

美穂を見る。

美穂は頷いた。

「地下室!」

二人は走った。

黒い鏡。

その前に立つ。

直人は金属棒を握った。

「割るぞ!」

振り下ろす。

ガンッ!

鏡に亀裂が入る。

その瞬間。

鏡の中から、

無数の顔が浮かんだ。

祖母。

母。

知らない人々。

そして――

直人自身。

「やめて!」

美穂が叫ぶ。

鏡の中の直人が、

笑った。

「お姉ちゃん」

「……」

「本物はどっち?」

直人は、

一瞬だけ迷った。

その瞬間。

美穂が直人の手を握った。

「行こう」

「でも……」

「私が偽物でもいい」

美穂は泣いていた。

「あなたが本物なら、それでいい」

直人は金属棒を握り直した。

そして、

最後の一撃を振り下ろした。

――バキィィィィン!

鏡が砕けた。

世界が、

白くなった。


エピローグ

翌朝。

警察が家を調べた。

地下室は存在しなかった。

鏡もない。

黒田老人も、

どこにもいなかった。

家そのものも、

取り壊されることになった。

美穂と直人は、

東京へ戻った。

それから三か月。

何も起きなかった。

ある夜。

直人は自宅の洗面所で顔を洗っていた。

鏡を見る。

自分がいる。

当たり前の光景。

蛇口を閉める。

顔を上げる。

そして、

気づいた。

鏡の中の自分は、

一秒遅れて動いた。

直人は固まった。

鏡の中の自分が、

ゆっくり笑った。

そして、

背後を指差した。

直人が振り返る。

誰もいない。

もう一度鏡を見る。

そこには、

自分しかいない。

しかし――

鏡の端に、

小さな文字が浮かんでいた。

誰かが、

鏡の内側から指で書いたような文字。

「一人足りない」

直人の背後で、

女の声がした。

「直人……」

母親の声。

続いて、

美穂の声。

「お兄ちゃん……」

そして最後に。

知らない女の声。

「今度は――」

鏡の中の直人が、

口を開いた。

あなたがこっちに来て。

洗面所の電気が、

消えた。

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